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奈良時代、国毎に建立された国分寺。群馬の大規模遺跡上野国分寺も発掘と整備が進む。

< 出自:上毛新聞 コラム「三山春秋」 2010年03月09日(火) >
本文のあらすじ
  • 江戸時代の国学者、奈佐勝皐の旅日記「山吹日記」に上野国分寺跡で瓦を拾ったという一節がある。
  • それは奈良時代から一千年余り経てからのこと。当時も古代の遺跡として知られていたようだ。
  • 国分寺は聖武天皇が建立。災害や政治の乱れを仏教の力で治めようとした。
  • 県教委は遺跡整備を実施注。染谷川にかかる橋が月内にも完成。平城京遷都からあすで1300年。
参照先: 上毛新聞(新聞社サイト)

< kwoutによる引用不可のため、コラムをテキストで引用 >
【コラム】三山春秋
▼江戸時代の国学者、奈佐勝皐(なさ・かつたか)の旅日記『山吹日記』は、天明6(1786)年に上野国(こうすけのくに)を訪れた折、寺社や文化財などを調査研究して書いたもので、学術的価値が極めて高いとされる
▼その一節に「国府村こくふし」には「いにしへのいしすゑなとももとの跡に残れりときけは、たとり行て瓦ひろふ」とある。「こくふし」は今の高崎市引間町・東国分町と前橋市元総社町にまたがる上野国分寺跡をさす
▼国学者がいにしえの礎が残る寺跡で瓦を拾ったと書いたのは、奈良時代の天平勝宝元(749)年ごろの建立から数えて1千年余りを経てからのこと。当時、古代の遺跡として知られていたことをうかがわせる
▼国分寺は、災害や政治の乱れに苦しんだ聖武天皇が仏教の力で治めようと国ごとに建てた。上野国分寺は東西220メートル、南北235メートル。中央に金堂と高さ60メートル余の七重塔(しちじゅうのとう)があった
▼県教委は発掘調査に続いて遺跡整備に着手。これまでに金堂や塔の基壇、寺を囲んでいた築垣(ついがき)(土塀)の一部を復元した。現在、西毛広域幹線道路からの進入路「天平の道」を整備している
▼進入路のうち染谷川に架かる橋は月内にも完成する。名称は県民から公募して「国分寺橋(こくぶのてらはし)」と決まった。和銅3(710)年の平城京遷都からあすで1300年。奈良時代を代表する史跡に立つと、往時の息吹が伝わってくる。

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